テンタクル・トラベラー
  誘宵蠱々

両手首、足首に感じる生温かい感触。そして浮遊感にコクンは叩き起こされた。彼女の四肢には、グロテスクな色合いの肉の塊が巻き付いていた。
「ま、またアンタたちはっ! わたしをなんだと思ってるの、よぉっ」
 うつ伏せのまま触手に持ち上げられ、着ていたパジャマははだけられていた。触手たちはコクンの白い肌をなで回し始めた。先端がブラシのようになっており、これで肌をこすることで、皮膚の角質を舐めとっているのだ。  コクンにとっては、それがくすぐったくてたまらない。
「ひぃっ! や、やめっ。く、くすぐったいぃっ。あひゃっ。い、いい加減に、はな、りゃっ!」
 触手はぐるんとコクンの体の向きを変えた。天井を向かせ、両足を開かせ、ちょうど漢字の「人」の字のような格好だ。
(こんな格好、誰かに見られたら……)
 コクンの背筋がぞくりと震えた。真正面にはドアがある。このまま誰かがドアを開ければ、コクンのあられもない姿を見ることができよう。
「ちょっと、本当やめてよ。どうしたのよ。あ、朝から、こんなにぃ……っ!」
 ブラシ触手がぐるぐると体に巻きつく。さらに四肢を包み込んだ格好で、触手たちが蠕動を始める。
「やっ、そ、そんなトコ擦らないでよ! ひくぅっ、だ、だめだって、いってるのに!」
 触手たちが急に動きを止めた。
 コクンの懇願が、この触手たちに伝わったのであろうか。しかし、それならなんでベッドにおろしてくれないのだろう。
 コクンは肩で息をしながら、足の方を向く。
 向こうには、今までとは形の違う一本の触手が見える。他よりは圧倒的に細いその一本は、先端がストローのようになっている。
 コクンはこの触手がなんのためにあるのかを知っている。
 だからこそ、体が恐怖にすくんでしまう。
 いよいよそれが動き出し……。
 コクンの視界が閃光に包まれた。
 食堂で、コクンはゾルヌンゴフのステーキをつついていた。朝からステーキは重すぎる気がするが、それでも好きなものは仕方がない。ゾルヌンゴフはオオサンショウウオにカエルの手足をつけたような生物で、肉は脂がのっていて美味。この店では最も値段の高いメニューだった。しかし今は、その高い代金を払ってくれる人物が目の前にいる。
「おーい。コクンさーん。今月ピンチなんだけどー。お金がもうないんだよー」
「イヴァさんがなにも食べなきゃいいじゃないですか」
 向かいには、黒い服を着た細目の青年が突っ伏した体勢でコクンのことを見上げていた。
 コクンとイヴァは「天猛」と名乗り。ぼろぼろの荷車に乗って世界を回っていた。
 イヴァは触主――テンタクルロード――で、いつもたくさんの触手を引き連れている。ひょろりと細身の長身で、黒い上着に黒いズボン。黒い帽子と全身真っ黒。カラスと友達にでもなりたいのではないかと思うくらいだ。衣服の背部が継ぎ接ぎだらけなのは、触手を出すときに服を突き破ってしまうからである。
 イヴァの向かいにいるショートヘアーの少女がコクンだ。たとえ南国に行こうとも長袖長ズボンと、彼女はできるだけ肌を露出しないようにしていた。そうしないと飢えた触手が襲いかかってくる。
 そんなコクンもイヴァと同じく触主であるが、彼女の場合は少し彼とは異なる。コクンは主に触手のケアをしていた。仕事によっては、イヴァの触手は傷ついたり、死んでしまったりする。傷ついた触手を癒したり、足りなくなった触手を補充したり。それがコクンの役目だ。コクンによってイヴァの触手は管理されているので、イヴァの触手をコクンも使うことができる。
 触手、ここではそれに準ずるものも含むが、それを使役する人間である触主はこの世界にはたくさんいる。しかし触手を営利目的で使用しだしたのはイヴァが初めてだ。割安の謝礼金で危険な仕事もこなすので、天猛の評判は悪くはない。
「断食なんて無理だよー」
 テーブルのむかいから、フォークをもった手がのびてくる。コクンはそれを思い切りはたいた。
「一口、頼むから、ね?」
「いやですよ。だいたい、今朝からあんな目に遭って、わたしはおなかが空いているんです。触手たちの相手をするのって、もんのすごーく、体力を消費するんですよ」
「いや、それは本当にごめん。あやまるから。俺からもよくいっておくから、触手に、あんまり無理させないようにってさ」
 だから少し分けてほしい。イヴァの手にはさっきはたき落とされたフォークが握られていた。コクンはそのフォークを取り上げると、先端をぐいっと曲げた。もちろんそれは食堂の備品である。
「ちゃんと餌あげてるんですか。でなきゃわたしを襲うなんてしないでしょ」
「いやぁ。餌、きらしちゃって」
「なっ、どうしてそういう大事なことをいわないんですか!」
「昨日は二人とも、宿についた途端に即ベッドだったじゃないか」
「うぅ。そうですけど……」
「それに、本当は触手も母親からご飯をもらいたいんだよ。まあ、今日は我慢してね」
「い、嫌ですよ! 触手なんかにおっぱい揉まれたり、ドロドロになるまで体中まさぐられたりされるなんてごめんですからね!」
 テーブルから身を乗り出して、コクンは大声でいう。食堂中の視線がコクンに集まった。
「あのー。他に人がいるから、そういう発言はちょっと自重を……」
 イヴァにいわれてコクンはさっき自分の発した台詞をプレイバックする。湯気がでそうなくらい顔が熱くなった。彼らに襲われるたびに、なんのためらいもなく口からそういったセリフが出てしまうことに激しく自己嫌悪する。
「店員さん、おかわり!」
「おまっ、もう金がないっていったじゃないか!」
「イヴァさんはしばらくなにも食べないでください!」
 コクンはべーっと舌を出して見せた。
 まもなくして二皿目がやってきた。

「コクン、高い報酬の依頼はないか」
 二人はローパの町に来ていた。そこにある依頼掲示板には、旅人向けの依頼がたくさんある。この世界には定職につかず、あちこちを放浪しながら依頼をこなし、生計を立てるという生活をしている者が多い。魔法が一般化した昨今、一度それを習得して気ままに生きる方がはやっていた。
 今日はその村で新規の依頼が張り出される日だ。掲示板の前にはすでに人だかりができていた。背は高いイヴァだが目は悪い。コクンを肩車して、その様子をうかがっていた。
「あっ、あった。二段目、右から三番目! その依頼にしましょう」
「よし、ヨッサン、君に決めた!」
 イヴァは足首からのばした一本を地面に突き刺す。それは地中を進み掲示板の真下からのびでて、依頼の紙をつかみとった。
 掲示板の前に群がっていた旅人たちがざわめいた。目の前にいきなり触手が飛び出してきたのだから当然だ。
 そんなことはお構いなしに、そのまま触手が戻ってくる。
 それから徐々に、旅人は各々に依頼をとって去っていく。その中で、
「ちょっと、そこのあんた」
 触手から紙を受け取ったイヴァに向かって、一人の旅人が声をかけた。その旅人は、急所を守るためのプレートの付いたローブを着ていた。にらみをきかせながらイヴァの方へ向かってくる。
「その依頼、俺が狙ってたやつなんだけど」
「そう。で?」
 イヴァはいつも通りのテンションで返答したのだが、彼のそれは人によっては挑発に取られてしまうであろうものだった。
「だから、その依頼は俺が受けるんだ。さあ、紙を渡せ!」
 その旅人は今いる距離からイヴァに魔法弾を発射した。しかし彼の放った濃紺の魔法弾は、イヴァの触手に防がれる。
「この距離でも反応できるのかよ」
「そりゃあ、俺の触手だからね」
 その旅人は距離をとる。イヴァに向かってさっきと同じ魔法を連続で繰り出す。
 そのすべてをイヴァの一本の触手がはじく。
「きみ、その魔法しか使えないの?」
「いいだろ。おまえなんかに、これ以上の魔法を使う必要なんてないね」
 だが、相手は全力でこの魔法を使っているらしい。小技でもこれだけ連続して使えば疲労もするだろう。
「遠距離から攻撃しても、全部防いじゃうよ」
「うるさいっ、挑発してんのか! そうはいかねぇぞ!」
「……しっかりのっちゃってるじゃないですか」
 ぼそりとコクンはつぶやいた。
「おまえらみたいな卑猥な魔法を使うやつがウロウロしてると迷惑なんだよ!」
「失敬な。俺の触手はちゃんと全年齢対象さ」
「どこがだよ。どう見ても十八禁だろうが!」
 今度はその旅人は接近する。人間離れしたその動きは肉体強化の魔法。あっという間にイヴァの懐に飛び込むことができる、はずだったが、突進してくる旅人の足に触手が巻きついた。旅人はそのまま倒れてしまう。大きな砂煙が上がった。
「ね?」
「い、イヴァさん。それは卑猥というより卑劣な技ですよ」
「きついなコクン……」
 コクンと話しているすきに、起き上がった旅人がイヴァの懐に飛び込んだ。手のひらにためた魔力を一気に放とうとした時、旅人は自分の胴体に触手が巻きついていることに気づく。
「俺はあんまりこういうのとは……」
 イヴァは旅人に向き直ると手のひらを向けた。
「かかわりたくないんだよ、ねっ!」
 手首からさらに触手をのばし、旅人をとらえさせ動きを封じる。そして手のひらから、太くてかたい触手が勢いよくとびだし、旅人の腹部を撃ち抜いた。
「ぐっ! かは……っ!」
 たまらず旅人はダウンした。
「持ってるスキルをいい方向に使う。そうすれば触手だって卑猥じゃないんだよ。あ、これ薬。触手の体液から作ったものでね、よく効くよ」
 イヴァとコクンはその場から離れる。向こうから仕掛けてきたのだからこちらは悪くないだろうが、周りに人が集まってきていた。

「さあて、ヨッサンのとってきた依頼はいったいなにかな……」
 イヴァとコクンは依頼の紙を覗き込んだ。しかし、ヨッサンは、紙をしっかりとつかんできたまではいいが、その体液のせいで、インクがにじんでしまっていた。
「なにが書いてあるかわからないじゃないですか」
「ヨッサンはぬめるタイプだからなー」
「なんでそれを使ったんですか! なんとか読めるのは、えっと……? これが依頼主ですかね」
「そうだね。じゃあ、行ってみようか」
 イヴァ達はその紙に書かれた人物の場所へ向かった。

 イヴァ達がまた掲示板の前まで戻ることになるのに、さほど時間はかからなかった。
 依頼主はある中年男性で、自分の娘を結婚式場まで娘を送り届けてほしいというものだった。森を抜けた向こうの街まで行かなければならない。だが今の時期、森は生き物たちの繁殖期で非常に危険だ。
 しかし、イヴァ達の名を聞いた途端にその依頼は取り下げられてしまった。
「なんなんですか。あの人、依頼しておいて取り下げるなんて」
「仕方ないよ。あの人の娘さんにとっては、人生で一番の晴舞台なんだ。それが触手と一緒じゃあ、ねぇ」
「なっ、わたしの人生の初めては触手でしたよ!」
「コクン、だからそういう発言を往来でいうのはやめようよ」
「でも納得いきませんよ。触手ってだけで、こんな扱い……」
 確かに天猛の評判は悪くない。しかし、触手の評判は決していいとはいえなかった。もともと十八禁という、一般の魔術師が使役する存在でない触手は、どうしても卑猥で醜いものだという意識が根強く、今回のように依頼が取り下げられるケースは少なくない。
「わたしたちだって、触手しか使えないわけじゃないですよ。ちゃんと一般向けの魔法だって使えます。大体の依頼をこなすには足るくらいの」
「本職の人にはかなわないよ。一応、この触手たちはそういう人たちとも対等に渡り合える自信はあるんだけどね」
 触手のイメージを払拭するにはまだ時間がかかりそうだ。
「じゃあ、今日の夜はどうします。荷車でイヴァさんと一緒なんて嫌ですから」
「おーい。なんだいその思春期の娘みたいな発言は。お父さんは悲しいぞ」
「いつお父さんになったんですか。まったく。単にイヴァさんの寝相が悪いからですよ」
 イヴァは返す言葉がなかった。きまりが悪そうにすっと目をそらす。
 すると、そらした先に一件の花屋が目に入った。
 小さな花屋だが、置かれているのは毒草や薬草。魔法の触媒として用いられるような怪しげな植物。それらがバケツにぎっしりだ。
「イヴァさん。どうしました?」
「いや、こんなところに花屋なんてあったかなと思って。それに、ここ、ものすごい品ぞろえだ。ほら、この時期は入手が困難な植物もある」
 イヴァは興奮気味だった。店先に並べられている植物をずらりと見渡す。そのとき、店の奥から一人の女性が現れた。
「あらら、いらっしゃい」
 明るい笑顔と柔和な表情が特徴的な女性だった。
「あっ、イヴァさん、店員さんが出てきちゃったじゃないですか。あの、すいません。わたしたち、見ていただけなんです。店先で騒いじゃってすいません」
「いいのよ。それにしても、ずいぶん身軽な格好をしてるけど、この辺の人じゃないわよね」
「あ、はい。わたしたちは天猛で、わたしはコクン。で、こっちのバケツに張り付きっぱなしなのがイヴァさん。こんなんですけど、わたしの上司です。ほら、イヴァさん。挨拶してくださいよ」
 コクンに背中をひっぱたかれてイヴァは立ちあがる。
「あだっ、あ、どうも。天猛のイヴァです」
「イヴァさんに、コクンちゃんね。あ、もしかして天猛って、あの天猛さん?」
「あのって、ご存じですか」
「ええ。有名じゃないですか。触手まみれの変態紳士と淫乱少女のコンビだって」
 その女性のいった天猛のうわさはひどいもので、
「変態紳士はあってますけど淫乱少女はひどい!」
 コクンはすぐさま返答した。それを聞いたイヴァが、
「ちょっと待てコクン。変態紳士も違うぞ」
 といったが、そのサーブを受けてくれる人間はこの場に居合わせていなかった。
「わたしたちはそういうんじゃなくて、触手たちを世のため人のために使おうと思って旗揚げされたんです。別にいやらしくなんかありません!」
「あらあら、ごめんなさい。そんなに怒らないで。かわいいお顔が台無しよ。そうね、じゃあ、あたしから一つお願いしちゃおうかしら」
「えっ、い、いいですよ。依頼ですね。ほら、イヴァさん、仕事ですよ」
「そうか。コクン、適当に受けてそれを俺に報告……」
 地面からのびた触手がイヴァを逆さに釣りあげた。

 花屋にいた女性はマルチナと名乗った。彼女は一人でその店を切り盛りしていた。マルチナの依頼は単純だった。森へ行ってゾルヌンゴフを捕まえてきてほしいというのだ。
「なんだ。それならおやすいご用です。行きましょう、イヴァさん」
「あ、まって」
 イヴァを先導しようとしたコクンはマルチナに引き留められる。
「今の時期、森は危険だから、コクンちゃんは行かない方がいいわ。それに、ゾルヌンゴフを捕まえるくらい、一人でもできるでしょ。触主のおにいさん」
「そうですね。じゃあ、コクンをお願いします」
 あっさり納得するイヴァに違和感を覚えたコクンは、
「えっ、イヴァさん。わたしもお手伝いしますよ」
 説得したがだめだった。
「いや、一人で十分だよ。それに、ゾルヌンゴフは警戒心が強いから。一人の方が都合がいい」
「そうなんですか……じゃあ、気をつけてください」
 イヴァは森へと向かっていった。

 イヴァが帰ってくるまで、コクンはマルチナの店の手伝いをすることとなった。それはマルチナの提案だったのだが、なにもせずに待っている所在なさにコクンは耐えられなかったしちょうどいいと思った。
 渡された制服は、コクンが普段着ることのない半袖の服にミニスカート、そしてパステルカラーのエプロンだった。今はイヴァの触手もいないので、コクンは安心してその服を着ることができた。
 コクンは黙々と商品を棚に並べていく。ふと、ずっと見つめている視線に気がつく。会計からマルチナがコクンのことを熱心に見つめていた。
「な、なんですかマルチナさん」
「コクンちゃん、制服とっても似合ってるわ。お姉さん見惚れちゃった」
「そうですか? わたしはこういう服はあまり着ないので、少し恥ずかしいです」
 とはいいつつも、コクンはうれしくもあった。こういう格好をしてみると、気持ちも晴れやかになるから不思議である。イヴァの触手の前でこんな格好をして見せたら、瞬く間に餌食となってしまうだろう。
 薬草が山盛りに積まれたバケツをおいて、コクンは額の汗を拭った。ふと、向こうのバケツが目に入る。そこには様々な形の花を持つ植物が入れられていた。すべて同じ品種のはずだが、咲いている花は同じものが一つとしてなかった。しかし、どれも不思議な魅力を持っている。
「きれいな花ですね」
「コクンちゃん、お花に興味があるの?」
「いえ。そんなわけじゃ……」
「でも女の子だもん。お花には興味あるわよね。そうだ、このお花を育てているところを見せてあげる」
「えっ、でも、お店は……」
「いいからいいから。さ、こっちよ」
 マルチナはコクンの手首をつかむと、強引に店の奥へとつれていった。
 小さな店なのに、奥行きは広い。薄暗くて不気味な廊下をコクンはどんどん進む。かすかに漂う甘い香り。それはどんどん強くなる。
(なんだろう、この匂い……)
 無意識のうちに、その香りに惹かれている。この先にあるものが待ち遠しく感じられる。
 その香りは、突き当たりのドアからしているようだ。
 しかし同時に、得体の知れない不気味な感じもする。
「じゃあ、見せてあげるわね」
 マルチナが一気にドアをあけた。コクンは室内の濃厚な密の香りに包まれる。
「な、なんですか、これは」
 コクンは目を丸くした。その部屋には店頭にあった花が咲いてあるほかに、壁には様々な年齢の女性が蔓草に絡めとられてもがいている。
「ま、マルチナさん。これは……っ!」
「あのお花はね、こうやって咲くのよ。女の子の精気をエネルギーにして。餌にした女の子によっていろいろな花を咲かせるの。お姉さん、あなたの咲かせるお花を見てみたいな……」
 そっとマルチナの指がコクンの頬をなぞる。ぞくり、コクンの本能が警鐘を鳴らす。すぐさまコクンはマルチナから離れた。
「お、お断りします。それに、こんな植物の栽培は禁止されているはずですよ」
「ええ。でも、花に魅せられてしまったわたしはもう戻れないの。コクンちゃんもきっと虜になるわ」
 天井から蔓がのびてくる。コクンはとっさに身をかわした。普段のイヴァの触手とのやりとりで身に付いた回避力が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
(えっと、相手は植物だから、火に弱いはず。でも、ここでそんな魔法を使ったら、ここにいる人たちまで巻き込んじゃう……)
 コクンはのびては絡めとろうとする蔓をかわしながら考える。火の魔法で焼き付くせないとなると、この植物の本体をたたくしかない。コクンは部屋の中央にある幹にねらいを定めた。
「ハチ、ココノン、ジュウゾー! この植物の幹をへし折って!」
 コクンは床から触手を呼び出す。一直線に幹へと向かう触手たちだが、途中で別の蔓にしめあげられてしまう。
「残念。そうはいかないわよ」
「たった三本が防がれたところでっ! わたしの触手は、一〇八式まであります……か、ら……」
 コクンは急に腰が抜けて立てなくなる。風邪でも引いたかのように体が熱っぽい。意識がもうろうとしてきた。
「やみくもに攻撃していたわけじゃないのよ。コクンちゃんには、いっぱいここの空気を吸ってもらわないといけなかったから」
 マルチナは妖しく微笑むと、ゆっくりとコクンのほうに近づいてくる。コクンの脳は「逃げろ」と指令を出し続ける。しかし体は完全に麻痺してしまい動かない。
 コクンの腕に蔓が絡みつく。そのまま上に持ち上げられた。マルチナの手には太い棒状のものが握られていた。表面がごつごつしたそれの根本には、花びらのようなものがついている。これがこの植物の花なのだろう。
「コクンちゃんもお花にいっぱい愛でられてみない?」
「け……結構です。そういうのは、間に合ってるんで」
「あの触手たちのこと? こっちの方がいいのに。妬いちゃうわ」
 マルチナがオーケストラの指揮者のように両手を高くあげた。部屋のあちこちから蔓や花がのびてくる。
「無理矢理やってもきれいな花は咲かないわ。そうだ。コクンちゃんがこのお花のことが大好きになってから、コクンちゃんの咲かせるお花を見せてもらおうかしら」
 目と鼻の先まで花がのびてくる。唇をきつく結ぶことだけがコクンのできる精いっぱいの抵抗だったが、その扉を花は無理やりこじ開ける。
「ふむ……っ! はっ、ふぅ……っ!」
 見た目よりも柔らかいのはそれがあくまで植物だからだろうか。しかし口に含んだ感触はぶにぶにとして気持ち悪い。
(なにこれ。甘い……蜜……?)
 味覚が反応したのははっきりとした甘みだった。この部屋に充満しているものと同じ香りのする蜜が、花の先からあふれている。中毒になりそうな蠱惑的な味。舌を這わせるたびににじみ出るそれを、コクンは本能的に嚥下していく。
「ふふ。そんなに熱心に吸いついちゃって、まるで蝶々みたい」
「んふぅっ! んっ、んくっ!」
「ほら、まだまだたくさんあるわよ。花によって蜜の味もいろいろなの。素敵でしょ?」
 次から次へと花が迫る。次第にコクンは望んでそれを受け入れるようになっていった。
「コクンちゃんも出来上がってきたみたいだし、そろそろ本番、いってみましょうか」
 いつの間にか足に絡みついた蔓が、そのままコクンの両足を持ち上げる。ゆっくりとマルチナの目の高さまで持ち上げられた。
「あらら。結構開発されているのかしら」
 状況を覆すなんて不可能だった。
 目の前の花は先端から白い蜜を垂らしている。濃厚な甘い匂いが鼻腔から脳を痺れさせ、意識を保つのも困難だ。
(もうだめ……わたし、お花に……)
 そのとき、もうろうとした意識を一瞬で目覚めさせるほどの轟音が室内に響いた。
「誰っ。まさか、この部屋が他人にばれるなんてあり得ないのに」
「驚きました。マルチナさん? それだけ激しく触手を使っていれば、俺に嫌でもわかりますって」
 煙がはれる。コクンの隣に、イヴァがたっていた。
「マルチナさん、あんた、うちのオカンになにをする気だったんですか。場合によっては続けてもかまいま……」
「構います! とにかく、ほどいてください、これ!」
 コクンは触手を呼び出し、イヴァをひっぱたいた。
 イヴァはコクンを解放する。それでも体はまだ回復しておらず、コクンの足下はおぼつかない。
「クヒト、クマ、キューゴ。コクンのことを頼む。マルチナさん、店先に並んでいる花を見て、どうもおかしいと思ったんだ。そいつはサインプラント。十八禁級の凶悪な魔法植物だ。それを一般人のあんたが使役するなんて。首、とびますよ?」
「な、なにをいっているの。なにを証拠に……」
「俺は生まれたときから触主だ。十八禁に関する事象は一通り見てきましたから、この植物のこともよく知っていますよ。気になったんです。仕入れて販売しているのか、それとも栽培しているのかってね。後者だったのが残念です。悪いことはいいません。その花を枯らしてください」
「なにをいっているの。わたしはこの花を愛しているの。そしてそれに花も応えてくれる。わたしはこの花をずっときれいに咲かせるの。それがこの花との約束だから。だから、この花が枯れるなんて、考えられないわ。どうしてもっていうんなら……っ!」
 先端が針のようにとがった蔓が、四方八方から襲いかかる。イヴァはかわしながらも反撃を試みるが、数では相手の方が圧倒的に上だった。
「寸胴な肉触手じゃ、この子達のスピードには追いつけなくってよ!」
「そんなことはないさ。ヤヨ、ヤック!」
 イヴァは先端がブラシのように枝分かれしている触手を二本呼び出した。それぞれが細くなった先端を縦横無尽に走らせて、マルチナの蔓を迎撃していく。
「俺の触手は一〇八式まであるから」
「そう。でも、この子たちは何度切られてもよみがえるわ」
 再びのびる鋭利な触手がイヴァの触手を貫いた。
「この花のためなら、わたしはなんだってする。そうすればこの花も応えてくれる!」
「あんたは、そうやって花に狂わされ続けるのか!」
「なにをいってるの。あなたにはなにもわからないでしょうに!」
 それは一瞬の油断だったか。太い蔓がイヴァの腹部に激突する。その衝撃に、イヴァは吹き飛ばされ跪く。
「おぼえて、ないなら……。こっちは、都合がいいっ!」
 イヴァの触手の動きが変わった。さっきまで劣勢だったイヴァの触手たちが盛り返していく。次々と蔓を薙ぎ払い、引きちぎる。
「くっ、でも、蔓はまだまだたくさんあるのよ」
 からめとられた女性の嬌声が響く。ぼんやりと蔓が輝いて見える。そして天井からまた新たな蔓が垂れ下がってきた。
「精気を吸うことができる限り、この子は負けないわ。あなたの触手なんか、全部八つ裂きにしてあげる!」
「それなら、こうだ。ロック!」
 ロックは先端から細く高速の水流を発射できる。イヴァはほかの触手でロックを守りながら、ロックはサインプラントの蔓を切断し、とらわれていた女性を次々と解放する。
「そんなっ、こんな卑猥な触手にこんな芸当が!」
「本当はこういうふうに使うんじゃないんだけどね」
 地中から飛び出した触手がサインプラントの幹をとらえた。さらにマルチナもその幹にしばりつける。
「チェックメイトです。マルチナさん」
「それは、どうかしらね」
 身動きが取れないマルチナが不敵に微笑む。背後から聞こえた悲鳴。生き残っていた蔦がコクンを縛り上げた。
「コクンっ!」
「いったでしょ。なんでもするって。さあ、あなたのこの触手をほどいてもらおうかしら。この子がどうなっても知らないわよ」
「い、イヴァさん……っ。すみません……」
 きりきりとコクンを締め上げていく。
 たった一人の仲間だ。これを人質に使えばいい。マルチナはそう計算していた。
 だが、それは大きな間違いだった。
 目の前で人質に取られたコクンに構うことなく、イヴァは膝の後ろから二本の触手をのばし床に突き刺す。背中から羽のように八本の触手をのばし、右手をマルチナに向けた。手のひらからのびる太い触手は、ストローのように中が空洞だ。
「俺もまだまだだ。ぐるぐる巻きなんて、全年齢向けの縛り方だし。まあ、嫌いじゃないけどね」
「な、なによ。その構え、その触手……っ!」
「コクン、ちょっと我慢しろよ」
 背中の触手が大きく展開し魔法陣を描く。
 地面に突き刺した触手が、倒れていった触手達のエネルギーを吸収し始める。
 収束砲。
 溜めが長いため隙は大きいが、圧倒的な威力を持つ高等な魔法だ。
「な、なに。こんなところでそんな魔法をぶっ放す気? こっちには人質がいるのよ。あなたにとって、この子は大切じゃないの」
「コクンなら大丈夫ですよ。俺は、それを知ってる」
 イヴァはためらわずにそれを発射した。
 白濁した塊が直進し、そこにあるものすべてを呑み込んでいく。最後に聞こえた悲鳴は、マルチナのものなのか、サインプラントのものなのか、わからなかった。

 すべてが収まって、コクンも、サインプラントにとらわれていた人たちも、無事に救出された。
「まさか、触手の毒がこれに効くなんて」
「シマの毒は獲物を捕まえるだけじゃなく、別の毒を打ち消すのにも使えるんだ。もちろん、濃度や量を調節してやらないといけないけどね」
 イヴァは腕に注射針のような先端の触手を絡ませてながらいった。あの部屋の中でイヴァが活動できたのは、この触手のおかげらしい。
 コクンの体内の毒素はさっぱりなくなっていた。むしろ体の調子は前よりもよくなっている気がする。
「それにしてもイヴァさん。なににもいわずにわたしのことをおとりに使うなんてひどすぎますよ。てか、いつから見ていたんですか。絶対にタイミングを見計らってから登場しましたよね。サインプラントがあるってわかれば、イヴァさんはもう登場できたはずです」
「え、ああ。コクンもなんだかまんざらでもなさそうだったし」
「そんなわけないじゃないですか! まったく。わたしは、イヴァさんのじゃないとダメなんですから……」
「ん?」
 耳を傾ける動作をするイヴァだが、
「聞こえてるくせに。二度もいいません!」
 コクンはその耳を思い切り引っ張った。
「しかも、わたしがいるのになんて魔法を使うんですか。あの魔法、下手すればわたしも危なかったんですよ。勝手に大丈夫ってことにされたわたしの身にもなってください」
「うん、それはごめん。でも、大丈夫だったろ。まあ、あれもコクンにとっては慣れっこだろうし
」 「慣れてなんかないです! あんな熱くて濃いのは初めてですよ。おかげで制服も使い物にならなくなっちゃったし……」
 コクンのすさまじい防御力のおかげもあって、外傷はなく、着ていた制服が汚れただけで済んだ。しかしいくら洗ってもその魔法特有の強烈な臭いだけは取れない。
「結構気に入ってたのに……」
 コクンは大きなため息をついたが、どこから取り出したのか花屋の制服を持ってにやついているイヴァとその触手を見て、考えを改めた。 「にしても、イヴァさん。イヴァさんはマルチナさんのことを知っていたんですか」
「ああ。よく知ってるよ。あの人は、植物触手使いの第一人者だ。まさか、サインプラントに取り込まれているなんて思わなかったよ」
 イヴァの口調は少しさびしげだった。
 マルチナ。イヴァが触主となってまもないときに、一度だけ手合わせしたことがある植物使いの名前だそうだ。はじめは他人の空似だと思ったが、使ってくる植物の動きを見ていて、それは確信に変わったらしい。
「イヴァさんの古いお知り合い……。そんな人と、よく平気で戦えましたね。わたしだったら、きっと無理です」
「いや、触主が自分の触手に取り込まれるなんてよくあることだよ。使う者も、使われる者も、狂わせるのが触手だ。俺たちはそういう魔法を使っているんだ」  だから気をつけなくちゃいけない。イヴァはいつも最後にこういう。
 いつもそうやって、触手の話を無理にまとめようとしている感じが、コクンはあまり好きではない。だが無理やり話させるつもりもない。適当にはぐらかされてしまうのが落ちだ。
「マルチナさん……。あの人は、ただ、本当にあのお花のことが好きだっただけだと思うんです」
「あ、あの人は、すでに故人だよ。サインプラントはマルチナの死後、その肉体を利用して自分の餌となる人間を集めていたんだ」
 それを聞いてコクンは目を丸くする。
「じゃあ、マルチナさんは最初から利用されていたってことですか」
「ああ。でも、あれだけ成長したのは、マルチナが熱心に世話をしたからだろうね。自分はとっくに死んだはずなのに、花の世話だけは欠かさなかったんだ」
「そんなマルチナさんの気も知らないで、それを利用するなんて、ひどい植物です」
「そんなことはないさ。サインプラントは生きるためにそういうことをしていたんだ。俺たちは、その行動をやめろなんていえないよ」
 イヴァは大きな風穴の開いた花屋を眺めながらいった。
「だから、触手たちの行動もね……」
「イヴァさん……。きゃあぁっ!」
 気がつくとコクンの周りには無数の触手が集まって、なにか鳴きながら蠢いている。コクンが逃げようとモーションをとったその一瞬のうちに、触手たちは一斉にコクンに襲いかかった。
「おなかが空いてるみたい。今回の報酬はパーになっちゃったし、もうしばらく我慢してもらえるかな」
「そんなっ! あちょっと、こんなところで服っ、破かないでよっ! イヴァさん、着替えとか、どうしてくれるんですか!」
「宿代もなしか。おや、こんなところに花屋さんが。今日はここに泊めてもらおう」
「こらっ、話をきけっ! てか、ここ道の真ん中じゃないですかっ! だ、誰かにみられたらどうするんですか」
「あー。ステルスの魔法はかけとくよ」
「そういう問題じゃなーいっ!」
 夕焼け空に、コクンの叫びはむなしく響いた。


誘宵

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